2012年9月12日水曜日

Sibelius7を操作してみて

最初まったくわからなかったが、さすがはSibeliusとでも言おうか。
チュートリアルPDFを30ページほど読んだら、もう操作が出来るようになってきた。


とりあえずインストールからTwitterで述べたこと。

思った以上に箱が小さくてビックリ。そのまんまCDケースサイズ。

インストールに時間がかかる。楽譜機能は早いもんだが、VSTiとでもいうか、音源部が35Gも使用している。楽譜ソフトにそれほど必要なのだろうか。悪くはないが、大容量なわりにそんな感心するほどの音色ではない気がする。


最初は、音は鳴らない、MIDIキーボードも反応しない。Finaleからの移行は意外と戸惑うことになった。ということでチュートリアルPDFと格闘

現在わかっている範囲では、Finaleのほうが自由度が高く感じる
しかし、どうみても操作性はSibeliusの圧勝。どこまでの表記を求めるかだが、特殊な表記がなければ、おそらくSibeliusでほとんどの場合問題なしと思われる。

自分の場合はクロスグレードでの購入だが、Finaleのライセンスも残ったままらしいので、どうしても出来ない特殊表記はFinaleを使うという方法もある、が、いまさらFinaleに戻れないというのが、Sibeliusを使っての正直な感想。


まあ、そのうちOrchestraでも使用してみて、どれくらいスムーズに作業が出来るかだ。
Cubaseのときも、Finaleのときも思ったが、ステップ入力では、左側にもUSBテンキーを用意したい。

2012年9月11日火曜日

Sibelius7

楽譜作成ソフト「Sibelius7」を購入した。

もともとFinale2009を持っていたので、クロスグレードの購入ということで、20000円かからなかった。

インストールも完了し、まず起動。
音が鳴らない。MIDIキーボードが反応しない。

Finaleからの転校生は意外と戸惑うことになった。

ということで、説明書が要らないと言われたSibeliusだが、チュートリアルPDFをのんびり読んでいくのである。

Cello Solo

HALion Symphonic Orchestra の Cello Solo サウンドを KONTAKT 用に移植する作業がとりあえず完了。
Violin もすでに終わっているので、あと Viola を移植したいところだが、弦楽器系は、とにかく時間がかかり、これをやっていると他の作業が出来ない。

ということで、 Viola は、またの機会にしようと思う。

2012年9月4日火曜日

HALion Symphonic Orchestra と KONTAKT

少しずつ HALion Symphonic Orchestra 16bit version の好きな音色をKONTAKT用に移植しているのだが、これまた面倒な作業である。

Cubaseで1個ずつ再生させながら、WAVEを書き出して、KONTAKTにマッピングしていくという作業。それに加えて、ベロシティ間のつながりなどをEQやフィルターで加工したり、キースイッチ等も純正よりも自分好みに仕上げていくのである。

一度移植してしまえばこっちのもので、あとはKONTAKT上で好き勝手に改造できる。
もちろん HALion Symphonic Orchestra 16bit version のライセンスを所持しているからこそやっていることである。持っていなかったらさすがにやらない。

さて、Violin Solo の音色は移植終了しているのだが、 Cello Solo が現在進行中なのだ。
それが終わったら一段落な気もするが、Viola Solo がないと、弦楽四重奏とかできないのである。
ということでそっちも少しずつやろうと思っている。

ただ Viola Solo は単体であまり使用することがなさそうで、よけいにかったるさが増す。

余談
代表的な楽器で言えば、弦楽器アンサンブルと金管楽器アンサンブルはすでに移植済み。
のこり木管のクラリネットとファゴットがまだである。

生活と音楽

僕は自営業ではあるが、決して稼ぎが良いわけではない。
それが原因で彼女に別れられた事もあるくらいだ。

音楽家になるために、その間どうやって食っていくか。

うちは父親がすでに亡くなっているので、ある意味独立させてくれた父に感謝である。
母は僕の手伝いの無職なので、経済面では親に頼ってはいない状態になる。
(父はある程度の財産は残してくれたが現金ではない)

もしも両親共に健康であれば、未だ親の手伝い状態にあるだろう、ほぼ無職の僕は、この歳で音楽家を目指していっていいものだろうか。
身体の都合でサラリーマンに向いていない僕は、どこかに就職しているとは想像できない。

さて現在、経済面はなんとかぎりぎり独立できているとして、最近気になるのは生活面だ。
母親もそんな若いとはいえない歳である。
一人暮らしに縁のなかった僕は、洗濯や食事はほとんど母親任せで生活してきた。

もし今、母が亡くなったら?

そう思うと、これがなかなか焦るのである。
別にマザコンではないが、寂しいのは人間だから当然である。

で、寂しいとかではなく、生活の独立がまだできてないと思うのだ。

掃除はともかく、洗濯と食事は自分一人でも何とかなるようにしておかないと、突然のときに困る。

そこで時々思うのが結婚であるが、結婚願望はあまりないのである。

僕は身体に軽い持病みたいなものがある。
突然死ぬものではないが、一人だと多少不安なことである。
だからって女性をロボットのようにそばに置いておきたいわけではない。

普通の人間として、信頼でき、愛し合える嫁さんといっしょに生活したいだけだ。
子供がほしいという願望がないのは、経済的に余裕がないからである。
余裕があれば、また子供がほしくなることもあるであろう。

男は、父親が死んだときは、そう大きく凹まないが、母親が死んだときは結構くるものらしい。
そして母親が生きている今でも自分でそう思う。

母親が一番僕のことで心配していることが、「息子の完全な自立」でしょうから、父親にはその姿を見せられなかったので、母親にはその姿を見せられるように、努力していかなければならない、と、コッソリ思うのである。(なかなか自信がないのです)

私と音楽

この2、3年、あまりにも虚しいことが多すぎた。
人格まで変わってしまった。

元の自分に戻るにはどうすればよいだろう。
決して戻りたくないわけではない。

音楽を、作曲をやり続けるべきか結構迷っている。

なぜ悩むか、それは、

本当に自分がやりたいことが音楽なのか自信がもてないときがある

年齢的にもう夢を追いかけずに現実を受け入れたほうがよいのではないかと思ったりする

結局のところ音楽家として結果を残せていない

等の理由である。

中学生のころから作曲に夢中で取り組んできたが、年を経ていくにつれて、楽しくなくなっていっているのは事実である。
逆に技術力が上がってきたのは自分でも実感している(というか長年やってあがってなかったら始まらない)。

今人生の迷路でめちゃくちゃ迷っている。気持ちが迷っているというより、霧で前がぜんぜん見えないという感じだろうか。


本当に何もないくらい、全てが虚しく思えるとき、一度人生が終わった気がする。
僕の人生は一度終わってしまったのではないかと思う。

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